イエス・キリストの生涯-54

イエス・キリストの生涯-54

聖書の基本4

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

l. 十字架刑<iv>:

5.  マリヤについてのヨハネへのイエスの指示: 

(25)さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。(26)イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。(27)それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。(ヨハネ19章25-27節)

これらの節は、このような苦痛と苦悩のただ中、世の罪のために死ぬ寸前であっても、主はなお、この世におけるあらゆる責任を完璧に果たし、十字架から人間としての母のための備えをされたことを明確に示しています。しかし、マリヤの姉がそばにいたこと、また、マリヤには大家族(ルカ1章39-45節参照)に加え、自分にもかなり多くの子供がいたことを考えると(マタイ13章56節, 28章10節; マルコ3章31節; ルカ8章19節; ヨハネ2章12節, 7章3節; 使徒行伝1章14節; 第一コリント9章5節; ガラテヤ1章19節; ユダ1章1節)、主がなぜこのような特別な采配をされたのかについての説明が必要です。兄として、残されたたった一人の親の世話は、まさに主の責任であり、主はご自分に代わって他の人に任せることを望まれなかったようです。世俗的な優先順位の観点から言えば、私たちの多くはこのような状況では(「血は水よりも濃し(家族の絆は他の関係よりも強い)」という言葉にあるように)家族を第一に考えたとしても無理ありません。あるいは、物質的な面を考え、愛する人を最もよく養える人に託すかもしれません。ヨハネは家族ではありませんでした。ヨハネは貧しかったのです(そして、イエスの兄弟たちよりも貧しかったことは間違いありません。ヨハネはそれまでの三年間、世俗的な意味で失業しており、イエスや十二人の弟子たちと共に他の人からの施しで生活していたからです:ルカ8章3節参照)。 しかし、主は明らかに、家族的な配慮や経済的な心配(兄弟たちに母の世話をさせた方が、この二つの点でよかったでしょう)よりも、母の霊的な福祉に心を砕いておられたのです。イエスは、母が信仰の環境にあり続けることに気を配られ、この行動によって、イエスは、母の永遠の命と霊的成長が、肉体的状況や経済的安定よりもはるかに重要であることをはっきりと示されたのです。十字架の他のすべての出来事と同様に、これは私たちにとって重大な教訓です。もし私たちが誰かを本当に愛しているなら、ここでイエスの模範に倣って生き、その人の霊的な幸福を他のすべての考慮事項よりも優先させるべきです。なぜなら、たとえその人が幸せで、健康で、経済的な欠乏がないことを確認したとしても、私たちが他の問題(健全な信仰を保ち、真理のうちに成長し、神と御子に近づくことよりも神の目から見てはるかに下位の問題)に集中したため、その人が霊的に苦しむことになるなら、私たちは実にまずい取引をしたことになるからです。

これまで見てきたように、弟子たちの誰も、主の死が間近に迫っている現実や重大性を事前に把握していなかったのですから、主がこの責任をヨハネに(あるいは他の誰かに)、それ以前に委ねていたとしたら、いささか軽率だったでしょう。 ヨハネはここにあるように、「イエスが愛された弟子」でした(参照:ヨハネ13章23節, 20章2節, 21章7節, 21章20節)。 主のご判断は完璧でしたから、ヨハネの霊的な優先順位は、他の弟子たちと比べても立派なものであったということです。そのような意味で、ヨハネはマリヤの世話をするのに最適な、そして実際に完璧な選択であったと思われます。

<-55に続く>

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