イエス・キリストの生涯-22
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
e)キリストの誕生にまつわる出来事<vi>
5. エジプトへ逃れることとナザレへの二度目の帰還:
別の天使の警告(マタイ2章13-15節)という形での神の介入によって、一家はベツレヘムの新居から急遽出発し、ヘロデの支配下にはなかった帝国のある場所、すなわちエジプト(当時はローマ帝国の属州)に避難することになりました。夢を見たヨセフがその夜に従ったという事実は、彼が主に応答したことの十分な証拠です。このような迅速な対応は、私たち全員とは言わないまでも、ほとんどの人にとって難しいことでしょう。最初の旅ではマリヤが身ごもり、二度目の旅では幼い子供を連れ、三度目の旅では持てる限りの家財道具を積んで、非常に困難な状況下で、陸路で何度も長い往復の旅をしたところでした。しかし、ヨセフはその夜、主への完全に謙遜な従順のうちに、家族と共に逃げ出したのです。このことから、またヨセフのマリヤに対する先ほどの思いやりのある扱いから、私たちの主イエスは、神を畏れ、霊的に成熟した二人の特別な人物を養育者として与えられたことが読み取れるでしょう。
ヘロデがベツレヘムで「二歳以下」の男子を皆殺しにするように命じたこと(マタイ2章16節)は、博士たちの訪問が羊飼いたちの訪問のようにイエスの誕生直後に行われたのではないことをさらに示しています。 というのも、彼らとの会話の後、ヘロデの理解では、星の最初の出現は過去のある時点に起こったものであり、そのため、明らかに新生児ではない多くの少年たちを殺害する必要があったのです[1]。マギたちが具体的に東方のどこから来たにせよ、彼らの旅とその準備には少なくとも何ヶ月もかかったことは事実上確実です。
ヘロデの死後、ヨセフは再び主の天使から「イスラエルの地」に戻るように夢の中で告げられました。彼が従順を示すのは今ではおなじみのパターンですが、彼は従いました。そして、ついにようやくユダヤのベツレヘムにある家族の新しい家屋に住むつもりでした。(マタイ2章22節)。しかし、途中で、ヘロデの息子アケラオがユダヤの新しい支配者であることを発見しました(ヘロデの死後、ローマ人がヘロデ王朝を完全に滅ぼすだろうという予想が一般的であったため、そうなることは確かではありませんでした)[2]。その結果、ヨセフは、ナザレに向かう方が賢明だと自分で決めたようです。この賢明な決断は、第三の夢によってヨセフに優しく承認されました。(マタイ2章19-23節)、ベツレヘムでの生活を短くして捨てたのは間違いだったのではないかという思いから解放されたのです。こうして、ナザレはイエスが成長する場所となったのです(参照:ヨハネ2章1節)。 そして、ここで私たちはまた、闇(すなわち、世俗的な北の国)から光が出るというイザヤ書の預言の成就を見るのです: イザヤ9章1-2節-イエスの地上での宣教の始まりと終わりと共に完成:マタイ4章14-16節, 28章7節参照)、またイエスが「ナザレ人」であるという預言(マタイ2章23節)[3]。
暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。[そして]暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。(イザヤ9章2節)
[1] 出生証明書がない場合、これらの貧しい子供たちを送り込むために派遣された男たちは、まだ歩けず、話すこともできない男児を皆殺しにするよう命じられていた可能性が高いです。
[2] ヘロデの王国は3人の息子たちに分割され、アケラオはユダヤとサマリアを、ヘロデ・アグリッパ(イエスを尋問した「ヘロデ」)はガリラヤとペレアを、フィリップはイテュレアとトラコニティス(ガリラヤの東)を受け取りました。アケラオは西暦6年に退位し、ユダヤは正式にローマの保護領(従属王国ではなく)となり、ポンテオ・ピラトなどのローマ総督が統治するようになりました。
[3] I.4.b.4「枝」のセクションにある上記の注釈と、この言葉が暗にイザヤ書11章1節を参照していることを参照。
<-23に続く>