「悲しみの向こうに」

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2024年1月2日

「悲しみの向こうに」冊子からの引用シリーズ: 

<3/11から5年目を機会に、災害について、色々と学んだことを聖書の視点から編集した冊子「悲しみの向こうに」を読み直し、そこから引用したものを掲載させて頂こうと思いました。すでに「悲しみの向こうに」を読まれている方には重複となりますが、まだそれを手にしておられない方のために、掲載することにしました。以下は「はじめに」の部分からの抜粋です:>

 はじめに -「悲しみの向こうに」冊子からの引用  

…「なぜ、このようなことが!?」と、イエス様に何度も尋ねた私に、主は時間をかけて私の目を開いてくださり、以来、私を突き動かしてこられました。震災が無かったら、そして被災地に出かけて行かなかったら体験できなかったこと、知ることも出会うこともなかった、かけがえのない方々……。それら一つ一つのイエス様からの答えや、また状況に介入してくださった神様の愛の業(わざ)の思い出は、私の貴重な宝物となりました。思うと胸が痛みます。ひさいされた方々とのかかわりの中で、わずかでもつかみ取れたものがあるのなら、それを大切にし、自分だけのもにはしておけない気持ちになります。 ……神様は、心の傷を癒すために、とりなす人の祈りに応えられ、悲しみの涙をぬぐう野に、同情する人の手を使われます。そのために、時には長い時間をかけられます。被災された方の中には、いまだに重荷を心に抱えて、苦しみ悲しみと共に生きておられる方が多くいます。その方々のためにささげる祈りのきっけ作りとしても、この小冊子がいくらかでも助けになればと思います。 主イエス様が、どうかそれらの人たちをご自分の御許に引き寄せ、心の傷を癒し、重荷から解放し、新しい出発を遂げさせてくださいますように。 ますます混沌としつつあるこの世界において、私たちも、いつこのような災害に遭うかわかりません。そのような時にあって、この冊子が、決して離れず捨てることをされない救い主イエス様の愛を思い起す助けになればと願っています。  この冊子の中に記録されていた被災地支援の活動のすべては、参道された方のご厚意によって、また、私の幾人もの友人たち、家族の理解と協力によって為し遂げられたものです。この場を借りて、改めて感謝申し上げます。 どうか、来る様々な試練の中にあっても、主イエス様の恵みと救いと平安が、このメッセージを読んで下さる方々に豊かにありますように。 

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 (マタイ11章28節)

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