クリスマスの奇跡 -8

祈りの答え クリスマスの奇跡 パート八 (ひとしずく一三九七)

そこに立っていたのは外人と日本人の二人でした。彼らは、しきりに「ハレルヤ!」と賛美を繰り返していました。ちょっと変わった人たちだと思いましたが、明るくて好感が持てました。

彼らがクリスチャンであることは、すぐにわかりましたが、当時の私は、自分が最も正当派の教会に属していると自負しておりましたので、彼らを受け入れはするものの、上から目線で彼らのことを見ていたと思います。

しかし、御言葉でも示されたように、「旅人をもてなす」べきであると思っていたので、気の利いた食べ物もありませんでしたが、ちょうど母が送ってくれたスルメがあったので、それを彼らに出しました。その後、彼らと大した会話も交わすことなく、私は再び聖書を一人読み始めました。

すると、この訪問者達は、私が聖書を読んでいるのを見て、こう言ったのです。「私たちは兄弟です!」と。

この言葉に私はびっくりしました。「えっ?あなたたちと、私が兄弟?」

その二人のうちの日本人の人が言いました。「ええ、そうです。あなたもイエス様を信じている。僕たちも信じている。私たちは皆、神の子です。だから兄弟です。」

この言葉に、私は不意を突かれた感じで、彼らに興味を持ち始め、彼らの言葉に耳を傾けてみようと思いました。そして彼らの話を聞いている内に、彼らの理論や主張というよりも、彼らのしていること自体が、とにかく私の心を強く打ったのです。

彼らは宣教師で、この雪深い新潟に来て、神様の導きを頼りに、失われた羊を探して歩いていたのです。

私は、クリスチャンであったものの、その時は全く助けの必要な、しかも絶望的な状態にあったさまよえる羊のようでした。私は主に、「わたしを救ってください。この状態から救い出してください。私を助けてください」とくる日もくる日も必死に祈り続けていたのです。その一方で、この二人は、失われた羊が見つかり、そして働き人が与えられるようにと祈って、旅に出たのです。

初め彼らは、他の町に行く予定だったそうですが、吹雪の大荒れの天気のため、計画を変更して私の住む町にやってきたのでした。彼らは、泊まる場所についても、また主がどこの誰に導くかも、全て神様に信頼してやってきたのでした。そして彼らは、道でばったりと会ったAさんに証しをし、その時に道を尋ね、泊まる場所を尋ねたのです。おそらくAさんは、彼らを何とか助けてあげたいと思い、私のアパートに彼らを導いたのでしょう。Aさんには、彼らを泊める部屋もないので、この二人を助けようとする必要もなかったわけですが、彼は自分ができる限りのことをしたのです。

こうしてこの二人の宣教師は私のアパートに導かれました。これはまさしく神の導きであり、私の絶望的な祈りの答えでした。

私は以前からずっと、Aさんが出て行った時からの祈りに加え、神にどのように仕えたら良いのか、また自分の生活の全て、そして人生の全てを、ただ神様に信頼して生きることはできるのだろうか?といった答えを祈り求めていました。その祈りの答えが、彼らとの出会いによって一気に与えられたようでした。

イエス様の声に従って、真冬に出かけ、暗闇にさまよっていた私を見つけてくれた人たち・・・。私は、彼らを通して、神の愛が存在し、泣き叫ぶものの叫びに耳を傾けてくれる愛があるということを実感したのでした。

 Aさんは立派に約束を果たしてくれました。Aさんが私にいつも言っていたあの約束です。「マッちゃん、この恩はいつか必ず返します」

私は永遠に彼に感謝しなければなりません。もちろん、イエス様と、イエス様に従って遠い道のりを真冬の雪の中をやってきてくれたこの二人の宣教師たちにも。そしてあのケーキ屋さんにも。

思えばそれは、ケーキから始まった奇跡でした。私は最高のクリスマスのプレゼントを手にし、素晴らしいクリスマスの奇跡に与ったのです。

人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。(マタイ十八章十一~十四節)

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