自分の問題を忘れた時に起こる奇跡

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2023年11月3日

自分の問題を忘れた時に起こる奇跡 (ひとしずく634)

 何かに夢中になっている時、それから目を離して、他のことをし始めるのはなかなか難しいものです。私は、新調したスマートフォンのアドレス設定に取り組んでいました。どうしてもコンピューターから同期ができず、あらゆる障害の山を乗り越えなければならない状態でした。私は、その面倒さに少しうんざりしかけていましたが、つぶやいたり、あきらめたりしても解決策にはならないと、ひたすらその作業に没頭していました。これができなければ、翌日配信する、ひとしずくを、一人一人、アドレスを打ち込んで送信しなければなりません。その人数も(感謝することに)多く、とても朝、それをするには時間がかかり過ぎるので、何とかこの配信プログラムが利用できるように と、他のことには目もくれず、夜が更けるのも忘れ、無我夢中でやっていたのでした。しかし主が突然、私にこう言われたように思えました。「あなたは忙しい霊のまま、また明日出かけようとするのか?手を止めて、今すぐ居間に行きなさい。」と。私は「主よ、もう子供たちは寝てしまっています。それに私は何とかしてこれを朝までに仕上げなければなりません。どうか、そうさせてください」と主に言ってみたものの、やはり主の言葉が気になって、離れのログキャビンから家の方に行ってみたのでした。玄関の戸を開けると、薄灯りの中に、いつもなら眠っているはずの時間に、まだ娘が起きていました。「もう寝ていると思ってたよ」と私が話しかけても、何も返事しません。何かおかしいと思ったら、 彼女は一生懸命、何かを探しているようでした。家族の他の者たちを起こさないように、できるだけ気をつけながら。娘は探しものがなかなか見つからないことに、いらいらしているようでした。私が何を探しているのか聞いても答えてくれません。そこで一度またログキャビンに戻りかけたのですが、「待てよ、おそらく主は、今彼女を助けるために、私をここに来させたのだろう」と、戻るのをやめて、私も一緒に探すのを助けようと思いました。するとそこへ、物音がうるさくて眠れないと、上の娘がやってきました。彼女は妹が何を探しているのか知っているようで、尋ねるとそれは指輪だということでした。それは彼女にとってはとても大切なものなのでしょう。上の娘は私に言いました。「パパは、もう 寝たらいいよ。私が探すのを助けるから。明日、早いんでしょ?」と。

 私は、こんな夜更けに、失くした指輪探しに没頭する娘の気持ちがわかるような気がしました。私も今まで、コンピューターの問題の解決策を何時間も探しても見つからず、いらいらしていたのですから。私は、娘二人と一緒にその失くなった指輪を探すことにしました。一つのそれほど大きくない部屋を2,30分探すと、もう探し場所がないくらいでした。
 上の娘が私を心配して「もうパパはいいよ。あとは私たちで探すから」と再度言ってくれたので、私は、娘の大切な指輪が見つかるように祈ってから、仕事場 に戻りました。
 結局、娘が探していた指輪は見つかりませんでした。しかし短い時間でしたが、上の娘と一緒になって、指輪を探している彼女のために費やせた時間をとても嬉しく思いました。主は、アドレス設定のために無我夢中になっていた私に、それをさせたかったのでしょう。つまり、自分の問題を忘れ、必要を抱えた娘のために、愛を示すということを。

その後、不思議なことに今まで何時間やってもできなかったコンピューターからの同期を、ほどなくしてすることができたのでした。まさしく奇跡でした。

主の働かれる方法は、いつも素晴らしいです。

 スケールが全然違いますが、インド人のスンダー・シンの話を思い出しました。

 ある時、彼は一人のチベット人と一緒に、ヒマラヤ山脈を旅していました。雪が深々と降り積もる中、二人は凍え切っていて、もはやこれ以上先へは進めないほどになり、この寒さを生き延びることはできないように思われました。
 やっとのことで進み続けた二人は、ある険しい絶壁のところにやってきました。するとその崖から人が滑り落ちて、倒れているのを見たのです。その人ははるか下の岩に横たわり、死にかかっていたのでした。
 スンダ-はその哀れな人を安全な場所まで運んでやろうと提案しました。ところが、チベット人の連れは、自分の命を救うのもやっとなのに、人を救うなどとんでもないとスンダ-を置き去りにして、先へ行ってしまったのです。
 極めて困難ではありましたが、スンダ-はその死にかかっている人をなんとか崖の上に引き上げると、背中にかつぎ、豪雪の中を必死に進んで行きました。
 少し行くと、あのチベット人の連れの姿が見えたのですが、ショックな事に、彼は凍りついていて死んでいたのです。
 悪戦苦闘するスンダ-に担がれているその人は、体の接触からくる摩擦によって、温もりを取り戻し、とうとう意識を取り戻しました。またスンダ-自身も、懸命にその人を運んだその愛の働きのおかげで、次第に体が温まってきたのです。
 そして、とうとう二人は無事にある村に到着しました。充実した心と感謝の気持ちでいっぱいのスンダ-は、主イエスのこの言葉を思い起こしていました。

 「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。」(マタイ16章25節)

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