主の御心を求めて

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2022年12月11日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

 ある人が、主から聞く事はとても難しいと言っていました。
 確かにそうかもしれません。もし自分が、主の御心を何でもします、という態度でないなら、そして自分の生活と人生は、自分自身で仕切ると思っているなら、主人はイエス様ではなく自分なので、私達の主であり、神であるイエス様の言葉を聞くことは難しいでしょう。
 人は二人の主人に兼ね仕えることはできないのですから。
 しかし、イエス様を主と認め、自分の意志ではなく、主の御心がなされるように、そして主の御心であれば、どんなことでもします、という決意でいるなら、主の御声がもっと容易に聞こえるようになるのだと思います。


 実は、私も昨日は、自分の計画を行うことばかり考えていて、危うく主の御心を逃しそうになりました。今、東京の友人の所で部屋を借りているのですが、昨日は、夕方、人と会う予定があるだけで、昼間は特に何の予定もなかったので、外に出かけて、自分がやらなければと思っていたことをしようと考えていました。 しかし、しばらくして主のチェックがあり、ここに留まることにしたのです。そして、リトリートの準備をしながら、今日一日、主の御心がなされるようにと祈っていました。すると、突然、Pさんがやって来ました。今日、ここで バイブルクラスがあると思って来たようです。そしてせっかくなので、一緒に聖書を読んで学びました。しばらくすると、Pさんに連絡が入り、今度は聖書を教えてほしいという、今日初めて会う若者が現れました。
 私は、今日、一日が、このように展開するとは思ってもみませんでしたが、主にはご計画がありました。私は、自分の計画で動き回らなくて良かったと思いました。もし私たちが、自分のしたいことで思いが固まっているなら、主が何か別のことをさせたいと思っていても、主の囁きを逃してしまうかもしれません。
 ところで、先日、ある方が、主に尋ねたのはいいけれど、主がしなさいと言われたように思ったことをしたら、非常に大変な結果を招いた、と言っていました。それなら、 いっそのこと、何も主に尋ねなければいいのでは、という思いに駆られますが、そうではないと思います。その人はこのようにも言っていました。「主に尋ねたと思っていたけれど、実は、自分の心に恐れが潜んでいたことに気づかされた」と。つまり、この主に尋ねて、従う過程で、思っていたとおりに物事が展開しなかったとしても、主は、私達に最善のことを、ある時は、達成よりも私達自身の成長のために、投資して下さるのです。主の思いは私たちの思いとは異なるのです。

天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ五十五章九節)


 主の御心に委ねて主の御心を知るためには、まず、自分の思いを白紙にすることです。私たちの人生は、主の思いを知り、主の思いに委ね、また従うという旅路を辿っているようなものではないかと思います。ですから、こうした人の目には見えない心の部分における分野において、つまり神様と自分の関係において学んだり、気づきがあることは、人生の主要な目的に向かって成長し始めている時だと思います。それこそが、永遠に続くもので、真に価値あるものではないでしょうか。
 ところで、主の御心を求めて祈る時、まずこの自分の思いをわきに置くというのが、なかなか大変な時がありますが、困難だからと言ってあきらめないで下さい。そうした場合、できる幾つかのことがあります。

*   他の人に祈ってもらう

*   疑いがある時には、行動に移さず主を待つ(霧で前が見えない時、晴れるまで車を止めておきます)

*   自分の思いに、主が介入して下さり導いてくださるように必死に祈り求める

*   主の愛情深さを思い返す。いかに自分の人生において主が恵み深く必要を満たし、罪を赦し、 支えて来て下さったかを省み、賛美する。etc

  主はこうした努力を軽んじられません。私たちの心の中には、絶えず、生まれながらの自己中心の、自分を神としたがる肉の思いがあって、私たちが、絶えず「神様の導きに従うvs自己中の肉の思い」の戦いの最中にあることをイエス様はご存知です。そしてその戦いが容易なものではないことも。

 主ご自身、私達と同じ肉の弱さを体験され、その戦いがどれだけ大きいかご存知です。

わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する 信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時 機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(ヘブル四章十四~十六節)

 ですから、主に尋ねることは難しいし、主の声なんて聞こえっこないと、あきらめるのではなく、とにかく自分の聞こうとしてもなかなか聞く事のできない状態にあるそうした弱さを主に告げ、主に介入して下さるようにお願いすることです。そうするなら主は、一歩づつ、導いてくださるでしょう。あなたがそうしたことを、決して後悔することはないでしょう。

主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。 (詩編二五篇八、九節)

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