キリストの真の人間性の証明

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2024年10月3日

キリストの真の人間性の証明

聖書の基本4A-13

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

e. キリストが真の人間性を身につけられたことは、聖書によって証明されています:それに反する異端にもかかわらず、聖句を信じるなら、私たちは主の真の人間性を疑う余地はありません。それは、私たち皆が持っているのと同じように(主の場合は罪とは無関係ですが)、真に人間的な体(ヘブル10章5-10節)と霊(マタイ27章50節; マルコ2章8節, 8章12節; ルカ23章46節; ヨハネ11章33節, 13章21節, 19章30節)を持っているからです。

キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、[私たち皆のために]死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ2章5-8節)

1) これは、神が肉体をもってお生まれになったことを示しています:

(22)すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者[イザヤ]によって言われたことの成就するためである。すなわち、(23)「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。(マタイ1章22-23節)

そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。(ヨハネによる福音書 1:14)

(10)御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。(11)きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。(ルカ2章10-11節)

(3)御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、(4)聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。(ローマ1章3-4節)

いったい、神は御使たちのだれに対して、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言い…(ヘブル1章5節a)

2) このことは、御自分の生涯と死に関する通常の人間的経験によって示されています:

そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。(マタイ4章2節)

ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。(マルコ4章38節a)

また人の子がきて食べたり飲んだりしていると…(ルカ7章34節)

それ[イエスのからだ]を[十字架から]取りおろして[ヨセフは]亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。(ルカ23章53節)

そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた…(ヨハネ4章6節a)

イエスは涙を流された。(ヨハネ11章35節)

(33)しかし、彼ら[兵士たち]がイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。(34)しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水(すなわち、「血清」)とが流れ出た。(ヨハネ19章33-34節)

3) これは復活の時にも示されています:

わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔(ルカ24章39節)

イエスは、私たちの罪のために十字架上で死なれるために真の人間となられたという意味で、真に人間であるだけでなく、この世で私たちが経験していることを正確に理解しておられます。御自身、最悪の事態を耐え抜かれ、その苦しみの杯をすべて飲み干されましたが(イザヤ53章3節)、罪を犯されませんでした:

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。(ヘブル4章15節)

(7)[わたしたちの大祭司である]キリストは、その肉の生活の時(すなわち、復活される前、地上におられた時)には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。(8)彼は[唯一、ただひとりの神の]御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び(すなわち、人間が神に対して従順であることがどれだけ大変かを学び)、(9)そして、全き者とされた(すなわち、ご自分の歩みを完全に終えた)ので、彼に従順であるすべての人(すなわち、信じる者達)に対して、永遠の救の源となり、(ヘブル5章7-9節)

<-14に続く>

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