休ませてあげよう

三月三一日 休ませてあげよう (二〇一三年七月 ひとしずく一二三一)


 皆さんのお祈りのおかげで母の手術は順調に行きました。そして翌日、面会した時には、かすかな声でしたが会話もできて、意識がはっきりしていることも確認でき、ほっとしました。お祈りありがとうございます。

 その病院からの帰り道に、ただ主とだけ時間をとることにしました。体にも疲れを少し感じていましたし、主も、色々なことを通して、立ち止まることを語っておられると思っていたので、前日からその日は どこかで静まる時間をとることを決めていました。

 私は途中にある道の駅に車を止め、そこで休むことにしました。 そこには小川が流れていて、その小川のそばには小さなあずまやがありました。雨が降っていたので、そこで祈ったり瞑想することにしました。

 初めのうちは、降る雨をじっと見つめたり、水かさが増して勢い良く流れている小川を見たりしていました。しかし、主と一つになりたいと思っても、体が疲れていたり、また気持ちが昂っていて、なかなか落ち着きません。

 そんな時、ふと目に留まったのが直径一センチそこらの小さな黄色い花でした。
小さな一輪の花がベンチの板と板の細い隙間からひょっこり顔を出しているのです。
 ここに腰掛けなさい、とでも言わんばかりに私を招いている感じがしました。
 私はその小さな花に誘われるままに、そこに坐りましたが、急に疲れがどっと出てきたので、その花のそばに頭を置いて、ベンチに横たわりました。
 そして、主がこんなちっぽけな花をも生かしてくださって、日々世話して下さっているんだなーと思いめぐらしたり、心を静めてくれる雨の音に聞き入っていたら、いつの間にかうとうとしてしまいました。
 まどろみの中で、何年も家に一人きりで生活していた母親の姿が思い浮かびました。 そして今、私の頭のすぐわきに立ってほほ笑んでいる小さな一輪の花の姿と重なって思えました。
一人で、小さな畑を耕し続けていた母。毎日小さな押し車を押して二キロ離れている畑に行くのも、疲れた心臓には堪えただろうに・・・。日照りが続く時には、ペットボトルに水を汲んで、朝早く野菜に水をやりに出かけていく・・・。倒れた時も、野菜に水をやらなければという一心で疲れた体に鞭打って出かけたようです。
 ただ一心に野菜を育てて、 そのほとんどは、子供たちや孫達、そして知り合いの人たちに食べさせる母・・・。

一輪の花を世話される神様の愛は、そんな母をいつも優しく包んで下さっていたのです。
 神様は、小さな一輪の花を通して、語りかけてくれました。
体を起こした時には、静けさがわたしの心に宿っていて、体を横たえる前の落ち着かない疲れた自分ではなく新たにされた者のように思えました。

  野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい… (マタイ六章二八節)

・・・自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイ十八章四節)

   疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ十一章二八~三〇節  新共同訳)

静まって、わたしこそ神であることを知れ…(詩篇四六篇一〇節)

わたしたち信じている者は、安息にはいることができる…(ヘブル四章三節前半)

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